日本書紀では、中国の暦法に習い、古代天皇の歴史を創作した結果、紀元前660年の、辛酉の年に即位したことになっている。 同じ辛酉の年であるが、あまりにも年代が離れすぎている。どうしてか。 また、辛酉の年とは、何なのか。 さらに、なぜ辛酉の年でなければならないのか。 それは、中国…
※この項目は、全面的に原田常治氏の「古代日本正史」の記述に基づき、管理者が作成記述しています。 まず、大前提として、次の項目にご注目下さい。 日本建国の祖は「素佐之男尊」である。 ちなみに、今の日本の神社の80%強が「素佐之男尊」とその一族を祀る神社であることを、皆さんはご存知です…
魏志倭人伝の「卑弥呼」と日本書紀の「天照大神」では、時代が違いすぎるではないかとの疑問が当然出てきます。 確かに「卑弥呼」は、魏志倭人伝によれば西暦239年に魏に使節を送りましたが、その時の年齢は80歳を越えているように記載されています。 日本書紀では、少なくとも神武天皇即位の年(紀元前…
[日本書紀]によれば、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が相談して、一緒に日の神を生み申し上げた。大日孁貴(おおひるめむち)という。一書に天照大神という。 となっており、卑弥呼(日霊女:ひみこ)の両親について述べています。 西暦154年に歴史上に登場する「…
「巫女(みこ)」という表記は、「霊女(みこ)」の簡略字。さらに「霊」は昔の字では「靈」。 中国で「卑弥呼」と表記された日本の女王「ひみこ」の日本語表記は、「日靈女」であったのでしょう。 日本の先人たちは、この「日靈女(ひみこ)」という漢字表記に工夫を加え、とてつもない…
中国表記で「卑弥呼(ひみこ)」とされる日本の女王「日靈女(ひみこ)」を天照大神として神格化する際に、先人たちは「日孁(ひるめ)」という字に置き換えたのです。 なぜ女王を神格化する必要があったのでしょうか…? ※『古代日本正史』の著者原田氏は、日本書…
[日本書紀]によれば、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が相談して、一緒に日の神を生み申し上げた。大日孁貴(おおひるめむち)という。一書に天照大神という。 とあり、「大日孁貴(おおひるめむち)」=「天照大神」としています。 …
その女性は、女王という立場にありながら、「卑しい」という字が当てられました。 歴史でも一般常識としても、その漢字が受け入れられています。 そう、それは倭国の女王として知られている、他でもない「卑弥呼(ひみこ)」のこと。 「ひみこ」と入力すれば「卑弥呼」と変換され…
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