たった一冊の本が自分の中の価値観をガラリと変えることがあるとすれば、私にとってはまさにこれがその本でした。

それまで当たり前のように信じてきた、学校教育が教える歴史の知識…。

日常生活を送る上で決して必要とは感じづらい遠い昔の出来事…。

疑問にすら思わなかった歴史の逸話…。

それらは現代に生きる私たちに、果たしてどんな意味があるというのでしょう。

原田常治さんは、記紀(古事記、日本書紀)以前の神社を重点的に訪れ、祀られている祭神、神社の故事来歴を精力的に調査した結果を元に「古代日本正史」をまとめられました。彼は、古事記の50%、日本書紀の80%が「嘘」であると言っています。

読み進めるうちに疑念は深まり、独自に調査することによってそれは確信へと繋がり、日本人の将来に明るい希望をあたえてくれる「」を得ることができました。

このホームページは、「古代日本正史」を基に、管理人の独自の考えを加えてその「」について説明しています。

皆さんもご一緒に、「」を見つけてください…!

 

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原田氏が執筆している「古代日本正史」を理解するための基本的な事項は、以下の通りです。

文字、文章は、古代から使われていた。中国歴史書、中でも魏志倭人伝を見れば明白である。

米作りに適した場所は盆地であり、大きな盆地を有した所が古代日本の中心地となった。それは奈良盆地であり、出雲であり、宮崎県西都である。

古代の交通はほとんど船を利用していた。古代日本の中心地を結んだのは、陸路ではなく船である。船は海から入り、川の相当上流まで上って行った。川の中の石などを取り除く「川普請(かわぶしん)」は最近まで行われていた。

日本人はモンゴリアンであり、北方から来たモンゴリアン-出雲系-と南方から来たモンゴリアン-日向系-が合体し、日本人が形成されてきた。

出雲(北方)系は騎馬民族であり、日向(南方)系は稲作民族である。

モンゴリアンの風俗習慣で大きな特徴は、末子相続であった。天皇も15代の応神天皇までは末子相続で、16代の仁徳天皇から長子相続となった。中国の儒教の影響で変わったものである。

モンゴルの方はずっと後まで末子相続が続いており、日本の鎌倉時代に蒙古帝国を作ったジンギスカンの本家を継いだのは末子フラクである。

日本人のお墓の作り方は、魏志倭人伝に記載されてある通り「棺あるも、槨なし、土を封じて家を作る」ということで、土の盛り方は、出雲系は四角い古墳で前方後方墳、日向系は丸い古墳で前方後円墳である。中国人、朝鮮人とは全く異なるお墓の作り方である。

出雲(北方)系と日向(南方)系とでは、他にも玄関口の付け方(出雲系は破風の方に、日向系は屋根の庇の方に付ける。これは神社の作り方に明確に現れている)、拍手の仕方(魏志倭人伝の記載にあるように、偉い人の前に出ると手を打っているが、神社でも同様で出雲系は4拍手、日向系は2拍手である)などの相違点がある。

卑弥呼について理解するには、歴史基礎知識を以下の様に大転換して考える必要がある。

  • 日本建国の祖は「素佐之男尊(すさのうのみこと)」であった
  • 素佐之男尊が出雲を統治し、九州を征服し、日向(鹿児島、宮崎県)統治の拠点を宮崎県西都市(魏志倭人伝にいう「邪馬台国」)に置いた
  • 素佐之男尊の三男「大歳尊(おおとしのみこと)」が大和(奈良県)を統治した
  • 日霊女(ひみこ)(天照大神)-卑弥呼は、素佐之男尊の現地妻であった。古事記、日本書紀では、天照大神(日霊女)の弟が 素佐之男尊となっていますが、事実は違う。